「お客様第一」という言葉は、長い間、良い会社の象徴のように使われてきました。
もちろん、顧客の声を真剣に聞くことは大切です。
不動産の仕事であれば、入居者、オーナー、近隣住民、仲介会社、修繕業者など、立場の違う人と長く関わります。
だからこそ、一人ひとりの話をていねいに聞く姿勢は、信用の土台になります。
ただ、「お客様第一」が、社員にどんな言動にも耐えることを求める言葉になっていないでしょうか。
先日、厚生労働省が公開しているカスタマーハラスメント対策の資料を読み、私はこのことを改めて考えました。
※本記事は、厚生労働省「あかるい職場応援団」などの公開資料を参考に、不動産の仕事と会社経営の視点から私なりに考えた内容です。

2026年10月1日から、事業主の対策が義務になる
2026年10月1日から、カスタマーハラスメントを防止するための雇用管理上の措置が、事業主の義務になります。
厚生労働省の資料では、職場におけるカスタマーハラスメントを、大きく次の3要素で示しています。
- 顧客や取引先など、事業に関係する人の言動であること
- 業務の性質や事情に照らし、社会通念上許容される範囲を超えていること
- その結果、労働者の就業環境が害されること
ここで重要なのは、苦情のすべてがカスハラになるわけではないという点です。
管理会社の連絡が遅い。
修繕完了の説明がない。
騒音問題への対応が進んでいない。
こうした不満に事実上の理由があるなら、会社は真摯に確認し、改善する必要があります。
一方で、要求の内容や伝え方、頻度、継続時間などが社会通念上の範囲を超え、働く人の環境を害するなら、会社はそれを「お客様の声」だけで片づけてはいけないのだと思います。
不動産の仕事は、線引きが特に難しい
不動産業では、一度の売買で関係が終わるとは限りません。
賃貸管理なら、入居から退去まで数年間、関係が続くこともあります。
水漏れや設備故障など、入居者の生活に直結する連絡もあります。
オーナーから見れば費用の問題であり、入居者から見れば日常生活の問題であり、管理会社には両者の調整が求められます。
しかも、電話の相手が急いでいれば、強い口調になることもあります。
このとき、現場の社員一人に「うまく対応しておいて」と任せるだけでは、判断の基準がありません。
結果として、声の大きい人の要求ほど通りやすくなったり、責任感の強い社員ほど問題を抱え込んだりするおそれがあります。
私は、ここに経営側が決めるべき「線」があると思います。
正当な苦情と、組織で対応すべき言動を混ぜない
現場では、正当な申し入れか、組織として対応を切り替えるべき言動かを、瞬時に判断するのは難しいと思います。
だからこそ、個人の感覚ではなく、事実と行為を分けて見る必要があります。
不動産管理の現場で起こり得る場面の整理
| 場面 | まず確認すること | 組織としての対応の考え方 |
|---|---|---|
| 設備故障の対応が遅いと苦情が入る | 受付・連絡・修繕手配に不備がなかったか | 不備があれば謝罪し、対応日程と連絡窓口を明確にする |
| 同じ要求の電話が長時間・繰り返し続く | 説明が不足していないか、未回答の事項がないか | 説明後も執拗に続く場合は、時間の上限や管理者への切り替えを運用する |
| 謝罪の形や社員の処分まで指定される | 会社の落ち度と要求内容が釣り合っているか | 現場社員が即答せず、事実を記録して責任者が判断する |
| SNSで担当者の実名公開や危害をほのめかす投稿がある | 投稿内容、経緯、緊急性を確認する | 証拠を保全し、弁護士や警察への相談を含め、一人で対応させない |
※この表は厚生労働省の指針を参考に、当ブログが不動産管理の場面に置き換えて独自に作成したものです。個別の言動がカスハラに当たるかは、経緯、内容、態様、頻度などを総合的に見て判断する必要があります。

表にしてみると、大切なのは「苦情を聞くか、聞かないか」ではないことが分かります。
苦情の中にある事実は確認する。
会社側の不備は改める。
それと同時に、暴言や威圧、過度な拘束まで受け入れない。
この二つは両立できるはずです。
「現場でうまくやって」をやめる
厚生労働省の指針では、事業主が方針を明確にすること、相談窓口を定めること、事実関係を迅速かつ正確に確認すること、被害者への配慮や再発防止を行うことなどが示されています。
さらに、必要に応じて一人で対応させない、上司に指示を仰ぐ、やり取りを記録する、十分に説明しても執拗な要求が続く場合は一定時間で電話を終える、犯罪に当たり得る言動は警察に通報するといった対処例も示されています。
これは、社員の会話力や忍耐力の問題ではありません。
どこまでが担当者の判断なのか。
いつ上司に代わるのか。
どの段階で電話や面談を終えるのか。
録音や記録はどう残すのか。
誰が法的対応や警察への相談を判断するのか。
これらを事前に決めるのが、経営と管理職の仕事だと思います。
線引きを現場の個人判断にした瞬間に、ルールは社員の我慢比べに変わってしまいます。

社員を守ることは、顧客を軽く見ることではない
カスハラ対策と聞くと、「会社がクレームを聞かなくなるのではないか」と感じる人もいるかもしれません。
でも、私は逆だと思っています。
謝罪すべきときには謝罪する。
改善すべきことは改善する。
できないことは、その理由と代替案を説明する。
その上で、相手の言動が許容範囲を超えたときは、会社として対応を切り替える。
この順番がはっきりしていれば、声の大きさで対応が変わることも、担当者によって答えが変わることも減らせます。
それは、まじめに話し合いたい顧客にとっても、安心できる状態ではないでしょうか。
社員を守るルールは、顧客を遠ざける壁ではありません。
公平な対応を続けるための土台だと思います。
会社が守るべきなのは、社員の気持ちだけではない
カスハラ対策を、社員のメンタルケアだけの話にすると、本質を見失うと思います。
一人が長時間の電話対応に拘束されれば、他の入居者への連絡が遅れます。
一部の過大な要求を通せば、他の顧客との公平性が崩れます。
担当者が疲弊して休職や退職に至れば、オーナーや入居者と築いてきた関係や、現場に蓄積された知識も失われます。
つまり、社員を守ることは、
- 他の顧客へのサービスを守ること
- 対応の公平性を守ること
- 会社に蓄積した経験を守ること
- 長期的な顧客との信用を守ること
にもつながります。
「社員を守るか、顧客を大切にするか」という二者択一ではないのです。

現時点の結論
私なりの現時点の結論は、「お客様第一」は、社員を守らない理由にはならないということです。
顧客の不満の中に、会社が直すべき問題があるなら、逃げずに向き合う。
一方で、社員の尊厳や就業環境を害する言動には、会社として線を引く。
その線引きを、応対する社員に丸投げしない。
「どこまでで対応を終えるか」を社員に判断させるのではなく、「ここから先は会社が引き取る」と経営側が決めておく。
それが、今回の義務化を法律対応だけで終わらせないために、最も大切なことだと思います。
お客様を大切にすることと、社員を守ること。
この二つを対立させず、両立できる仕組みをつくる。
それが、これから会社に求められる「お客様第一」の形ではないでしょうか。
参考資料
- 厚生労働省「カスタマーハラスメント、求職者等に対するセクシュアルハラスメントの法制化」
https://www.no-harassment.mhlw.go.jp/countermeasure/column_no-hara/c2607/ - 厚生労働省「カスタマーハラスメントとは」
https://www.no-harassment.mhlw.go.jp/foundation/harassment_list/customer-hara/ - 厚生労働省告示第51号「事業主が職場における顧客等の言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」
https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=75ac0814&dataType=0&pageNo=1




