今から14.5年前、会社名を決めるとき意外と時間をかけました。
語感がいいか、覚えやすいか。
もちろんそれも大事だったけれど、それ以上に「あとからブレない軸」を入れておきたかった。
最終的に決めたのが lidix という名前。
この中の 「di」 は、Direction(方向性) の頭文字から取っている。
経営者として完璧な判断ができるとは思っていない。むしろ、失敗や遠回りの方が多い。
それでも、「方向性だけは致命的に間違えない」
それだけは、常に意識してきました。
事業でも、不動産でも、あとから振り返ると結果の大半は「どれだけ頑張ったか」より「最初にどこを選んだか」で決まっている。
走り出してから修正するのは、思っている以上にコストがかかる。
だからこそ、スピードよりもまず方向。
これは、会社名に込めた自分自身への戒めでもあります。
最近、その感覚をあらためて言語化してくれる考え方に出会った。
シリコンバレーの投資家、ナヴァル・ラヴィカントの思想だ。

彼の言葉は派手ではない。
でも、経営や投資を続けてきた今だからこそ、「これは本質だな」と感じるものが多かった。
頑張ること自体を否定したいわけではない
誤解されたくはないのですが「努力が意味ない」と言いたいわけではありません。
自分自身、これまでかなりの時間とエネルギーを仕事に使ってきたと思います。
ただ、あとから振り返ると、
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そもそもこの事業をやるべきだったのか
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今のやり方は、本当に正しい方向を向いているのか
こういう「立ち止まって考える時間」が少し足りなかったな、と思う場面もあります。
ナヴァルが言っている
努力は過大評価され、判断は過小評価されている
という言葉は、経営をやっている人ほど、刺さる気がします。
「忙しい」は、必ずしも前進ではない
忙しくしていると、ちゃんとやっている感覚にはなる。
でも、
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需要のある場所か
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自分たちがやる意味があるか
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長期的に続くか
このあたりを外したまま走ると、あとから修正するコストがとても大きい。
不動産でも、事業でも、結果の多くは“始める前の判断”で決まっている”
これは実体験として感じています。
lidixという会社名に込めた「di」の意味
経営者として完璧な判断はできないし、失敗もたくさんしてきました。
それでも、
「方向性だけは、致命的に間違えないようにしたい」
という思いは、ずっと強く持っています。

どれだけ努力しても、向いている方向が違えば、成果は出にくい。
逆に、方向さえ合っていれば、スピードはあとから調整できる。
この考え方は、ナヴァルの思想ともかなり重なっている気がしている。
時間を使う働き方には、どうしても限界がある
もう一つ印象に残ったのは、
自分が動かないと止まる仕組みには、天井がある
という考え方。
時間を切り売りする働き方は分かりやすいし、短期的には成果も出やすい。
ただ、経営を続けるなら、
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仕組みを作る
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所有する側に回る
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自分がいなくても回る形を考える
こうした視点は、避けて通れない。
一気に変える必要はないけれど、少しずつでも比重を移していくことが大切だと思っています。
得意なことは、案外自分では軽く見ている
ナヴァルの言う「特殊知識」という考え方も、個人的にはしっくりきた。
それは、
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なぜか苦にならない
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長く続けてきた
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気づくと深く考えている
そんな領域のこと。
本人にとっては当たり前すぎて、価値に気づきにくい。
でも、他人から見ると、それが一番の強みだったりする。
引退とは「やめること」ではなく「犠牲にしないこと」
ナヴァルが定義する引退は、年齢や資産額の話ではありません。
ありもしない明日のために、今日を犠牲にしない状態
この考え方は、経営者にとっても大事だと思う。
将来のために今を削りすぎると、気づいた時には、何のためにやっているのか分からなくなることもある。
努力する前に、方向を確認する
今回の話は、
「こうしろ」という正解を押しつけたいわけではありません。
ただ、
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頑張る前に、方向を考える
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忙しさを成果と混同しない
-
自分の強みを過小評価しない
このあたりを意識するだけで、無駄な消耗はかなり減る気がしています。
lidix の di=Direction
これは会社名であると同時に、自分自身への戒めでもあります。
これからも判断を間違えることはあると思う。
それでも「どこに向かっているか」だけは、ちゃんと見失わないようにしていきたい。
年末に、もう一度だけ「方向」を確認する
今日は12月26日。弊社は本日から1月7日までお休みを頂戴します。
一年を振り返るには、少し静かで、ちょうどいい日です。
今年も、うまくいった判断もあれば、正直「もっと考えられたな」と思う判断もありました。
でも今思うのは、完璧だったかどうかよりも、どの方向を向こうとしていたかの方が大事だったということ。
スピードは、あとからいくらでも調整できる。
やり方も、途中で変えられる。
でも、方向だけは、間違えたまま走り続けると修正がきかない。
lidix の di=Direction。
この名前に込めた意味を、年の最後にもう一度、自分自身に向けて確認しておきたい。
来年も、判断を間違えることはきっとあるでしょう。
それでも、
「どこに向かっているのか」だけは見失わないように。
この一年に感謝しつつ、静かに、次の一年の方向を考えます。
そんな締めくくりで、2025年を終えたいと思います。
いつもこのブログを読んでくださりありがとうございました。
皆様にとっても来年が素晴らしい年でありますように。
良いお年をお迎えください。



